知ってますか?村上春樹さんの
ノルウェイの森
。
まぁ別に感動はしなかったですが、まぁまぁ面白かったです。
ただ「純愛小説」っていうのはどうか・・・
主人公の「ワタナベ君」は
何回も、いろんな人と
やっちゃいます。
ただ、いささか
古い本なので若干理解できない文化が多々ありました。
ディスコにいったり、電話をかけたら家族がでたり(我々も子供のころはそれが当たり前だったんですが)革命がどうのとかみんな言ってるし、いまだに国旗掲揚とかしてるような時代だったし。
まぁそのへんもおもしろかったんですが。
ただ思います。「この小説は何を伝えたいんだろう」とか。
でも、そう考えるのって
間違いですよね?今思ったんですが。
別に筆者が伝えたいことはないかもしれない。ただワタナベの大学の一部分を書いて、そういった恋愛経験がたくさんあった、というのをつらつらと述べたかったのか、ただその一部分が少し普通の人の人生よりドラマティックだけだったのか、そう思います。
誰かわかりますか?何がいいたかったのか。教えてください。
こういったしっかりとした
結末とか
メッセージを求めるのって、なんか悪い癖ですよね。
多分国語教育とかですかね、悪いのって。別に筆者は言いたいことなんかなかったのに、学校とかの試験で、国語の問題とかは無理やり「この部分は筆者のどういった心情を表しているか答えなさい」とか。
こんな話があるの知ってますか?火垂るの墓野坂昭如さんの(たまにTVタッ○ルに出てますよね)話。甥が大学受験かなんかで国語の試験があって、その火垂るの墓かなんか文章が出たんですって。
んで、「この部分は筆者のどういった気持ちを表しているか答えなさい」と、いかにもまともそうな答えが並んでたそうですよ。んでその甥は不正解した。
疑問に思った甥は問題を持ち帰って、叔父である野坂昭如にたずねた「おじさん、この部分はどう思ってこう書いたの?」
したら叔父はこう答えたと。
単にそう思ったから。
ですよね。
誰が作ったんでしょうね、その国語の問題。
今でも受験問題とかみると、そういった問題を聞くけど、ちゃんと作者にインタビューしているのか、と問いたいですよね。
そういった逸話からも、作者が何を訴えたかったか、なんてものを探るのは
ナンセンスなのかなぁって思いますね。
でもやっぱドラマにしたってアニメにしたって漫画にしたって、キチンとした結末を描くから、欲求不満に陥るのはありますけどね。
ただこういった文化?というか手法?をちゃんと理解して自分の中で「こういうものなんだな」って解決できないとこういった
大作家?には
なれないと思います。
若い作家って結末を急いでいる気がします。最近はやっぱそうなんですかね。自分もそっちの方がすっきりするし、なんか読み終えた、満足した、って感じになります。
この物語の結末を言うことはしませんが、あまりハッピーエンドではありません。いや、ハッピーエンドなんかなぁ?一般的にみたらハッピーエンドじゃないかもしれないけど、ワタクシとしては自分の好きなほうの人とくっついたからいいかなぁって(笑)
でもそのことについても詳しく書いてはいません。
ただ淡々と文章が続いてるだけで、そこできっちゃうの?みたいなとこで終わってます。がーん。
自分にそんなんが書ける?って言われたら
かけません。
例え陳腐な物語とか、なんかしょーもないシナリオとかでもです。
ほら、昔はやった「未来○記」とか「ハ○カミ」とかもそうですが、最後は彼女と抱き合って、好きになって終わり、みたいな感じですが、これはそうではありません。
でもよくよく考えたらこんな結末以外に考えつかないんですよね。だからそれはそれでありなんかなって思いました。
まだまだ、いろんな本が読み足りないみたいです。誰かいい本紹介してください。最近は
音源にとらわれることもないから、
電車の中でわざわざ予習もしなくてよくなったので(笑)暇あらば自分のためになる本、勉強の本、そしてこういったちゃんとした文学小説を読んでいます。
ちなみに授業中も(笑)
でもまぁわけのわからん講義にうんざりして、机につっぷして寝るよりは、こうして自分を高められる可能性のあるほうに手を伸ばして、なおかつノートも取れればいいですよね、とか思います。
最近活字の虫です。目が悪くなっていく・・。
なんか何が書きたかったのかわからない文章になりましたね。
ワタクシホント、読書感想文なるものが
だいっきらいなんですよね・・・。
明日はそのへんについて語ろうかなぁ。
今日の一文字は
「書」
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